デザインって
ホットウイスキーを飲みながら、作業をしています。
最近、お部屋がぐっと寒くなってきて、ストーブを付けようかなぁって悩むほどです。
王林ちゃんがテレビで言ってたけど、青森には秋がほとんど無い。・・・っていったらちょっと極論なんだけどね、でも、ほんとそんな感じ。
気が付けばもう冬って感じ。
未だに脚の痛みと戦いながらの日々なんだけど、それでも仕事はあるもので、頑張らないと。
そんな中で、長年デザイン業をしてきてもなお、いまだいろいろと考えさせられたり、時には「はぁ」ってなることもあるんだよね。
ここ数日は、「デザインってなんなんだろうなぁ」って思ってしまうことがあって、少し気分は落ち込み気味。
たまにあるんだよね、第一案を出して、そこから修正指示が入って、どんどんデザイン要素が削られていって、イマイチな仕上がりになるっていうケース。
良かれと思ってデザイン、レイアウトしたものが、削られてしまって、そこに残ったのは、単純に正方形と長方形とテキストを、バランスよく並べただけのものっていう結果は、デザインをしている者としては、なかなかグッと気持ちを堪えなきゃいけなくて。
確かに、修正指示によって結果そうなって、それで満足してもらえるのであればそれで良いのだけど、それってもう、私が作らなくても、他の誰かでも全然実現出来るものだったりすると、私はなんのためにここに呼ばれたのだろうって疑問に思ってしまう。
いやいやそうじゃなくて、不本意に削られていく中で、そこでどうやってデザイン要素を残し、自分も納得できるものに落とし込んでいくのかが、デザイナーの腕の見せ所、といってしまえば確かにそうなんだけど。
しかし、デザイナー、とりわけ、クリエイターっていう畑の人達には、その関わる作品へのテンションっていうものが存在していて、修正指示をいただいて、それが不本意であったり、せっかくのデザイン要素を削ぐものであったり、それが続いていくと、その作品のテンションはどんどん下っていく。
そうしていくと、「おきゃくさんがそういうんだから、そう」みたいなところに気持ちを落ち着かせ、まずは自分を押し殺すことが最優先になる。
仕事というのは、そういうものだと思っている一方で、やはりそうではなくて、自分のデザインがちゃんとそのまま世に出ていった時に、あぁ、やってよかった、自分だからこそ出来た、という結果が得られた時は、やりがいを感じ、次も頑張ろうって気持ちにもなって、そうして長年デザイナーをここまで続けてこられたわけなんだけど。
私がこういう考えをもつようになったのは、自分自身の失敗が要因だと思っていて。
一軒家を建てる時に、建築会社さんとの打ち合わせで、ただ自分の意見や要望を、自前の間取り図を作って話し合いながら間取りを決めたんだけど、今思えば、「ではお願いします」っていって、最初に間取り案を作ってもらったあの初稿が、あの建築会社のデザイナーが、最良だと思って出した最高の間取り図だったんじゃないかって。
あらかじめ伝えてあった必要な部屋数、リビングの広さ具合。それらはちゃんと組み込まれていた。けどその時の私は、自分が作った自前の間取り図との相違を気にして、いろいろな変更をお願いしてしまった。確かにそれで満足している部分もあるのだけれど、もしかしたら、私の素人意見を押し通さなければ、もっと素晴らしい家になっていたんじゃないだろうかって、考えてしまう。
だって、この建築会社さんのモデルハウスは、確かにかけている費用は1000万くらい違うけれど、あきらかにデザイン、レイアウトされた、統一感のある素晴らしい仕上がりなのだから。
それを考えると、私はどことなく、失敗したんだろうなって気持ちが沸いてしまい、今も少し後悔している。
あの初稿の間取り図は、私達の暮らしをもデザインしてくれていたのかもしれない。
そこまで考えて作ってくれたものだったかもしれない。
それを私は、もしかしたら、今私がこうして仕事に対して感じたように、デザイン要素を削ぐ結果にしてしまったのかもしれないなって。
宝くじが当たったら、また同じ建築会社さんに、また家を建ててもらおうかなって、思ってはいるんだけどねw
定期的にこういう仕事に対する落ち込みはあるもので、ここのところ、どうも「こなす」系の仕事が続き、その一方で修正指示によって、良かれと思ったデザインが消えていく有様に、ちょっと耐えられなくなってしまったのだと思う。体調不良が重なっているのもあるかもしれない。
なんとか乗り越えなきゃ。
そして、ちゃんとその案件に対して、最後まで「デザイナー」で在り続けられるように、考えて、立ち向かっていかなければいけない。